東京地方裁判所 昭和25年(ワ)1222号 判決
原告 平光兼一
被告 大原盛三 外一名
一、主 文
被告等は原告に対して連帶して金五十六万円及びこれに対する昭和二十四年十月一日以降完済迄年五分の割合の金員を支払え。
訴訟費用は被告等の負担とする。
この判決は被告等に対して金十五万円宛の担保を供して仮に執行することができる。
二、事 実
原告訴訟代理人は主文第一、二項と同旨の判決並に仮執行の宣言を求め、その請求原因として、
(一) 原告は昭和二十四年五月二日知人阿部賢治を介して訴外門司市居住の野口博がその所有名義の証明書第五三三一号附ラヂウム(ケース入三個一組三十ミリ)時価三百万円以上のものを売却のため上京し港区芝新橋の新橋旅館に投宿滞在中宿泊料の支払ができなくなつて困窮しているから同人にその宿泊料金等として十五万円の貸与方を懇請せられ、尚その際右両名からラヂウムは現に米国進駐軍の要人某の仲介で米人に三千万円で売渡す旨の契約成立し関係官庁の認可を受け同年五月十日には代金受領の運びになつているので同日返済するとの申出を受け、ラヂウム及び証明書等を示された。
(二) 原告はその申出を真実と信じ野口博を救済するため一時貸として同日金五万円、翌日金十万円を貸与したがその後米人との売買が実現しなかつたため、その支払を受けることができなかつた。然し他にも売買交渉進行中で処分の見込十分あるとのことで、滞在費及び売却運動費の援助方を懇願せられたので更に同月二十五日金十万円、同月三十日金五万円、六月上旬金十万円、七月十五日及び八月三十日に計金十六万円以上合計金五十六万円を貸与した。
(三) そこで原告は同年九月一日野口と協議の上右貸金(甲第一号証担保借用証の金額七十六万円は原告の厚意に報いるため野口において成功した場合礼金として金二十万円の支払を約束しこの金額を附加したものである)の弁済期を同月三十日限りとし、その担保として前記ラヂウムに質権を設定してその引渡を受け(売却処分に必要な一切の書類と共に)これを所持するに至つた。
(四) ところが同年九月九日に上京した被告盛三の長男被告律郎と会見の結果、右ラヂウムは被告盛三の所有物で、同被告は同年二月頃律郎の妻の父野口博に同人の所有名義として売却方を一任し、野口はその委任に基いて上京し、その処分に狂奔していたが、容易に進捗しないので被告律郎にその取戻又は代金の回收のため上京させたものであることを知つた。然しながら野口は被告盛三からラヂウムの処分について一切を委され、その権限を有するものであるから質権設定の権限を有するものである。仮にその権限なしとしても処分の権限を与えられているから質権設定の権限をも存すると信ずるについて正当の理由があるので民法第百十条の規定により有効である。なお同法第百九十二条による善意無過失の質権者でもある。そこで原告は被告律郎に右ラヂウムは前記の通り野口に対する原告の債権の質として適法に原告の占有にあることを告げたところ、同被告もこれを諒承し、弁済期である同月三十日迄に売却処分して右債務の支払を済ますよう原告と協力することを承認した。
(五) 然るに被告律郎は同年九月十九日原告に対して、同被告の勤務先である大沢商事株式会社(本店大阪市)社長岸本某が偶々上京していて、右ラヂウムの買受を希望し現物を見せてもらい度いとのことであるから、同会社の東京支店である中央区銀座三丁目の事務所に現物と証明書を携帶して同行せられたいとの申出をしたので、原告は同被告と同行したところ、同被告は一寸社長に見せるから貸してくれと申し原告からラヂウム及び書類を受け取り隣室に去り長く原告を待たすので、その返還を求めたところ、社長岸本が買主の許に持参したからその行先を探してくると称し他出しようとするので、原告は有合の紙片で一応預証を作成させ岸本から取戻し次第原告方に持参するよう確約させて帰宅した。ところがそれは同被告が原告からラヂウムを詐取しようとして考え出した術策であつて、右のように申向けて原告を誤信させその引渡を受けるや返還の意思ないのに拘らず原告を欺き、同夜東京駅発列車でこれを持ち逃げその二、三日後帰宅して被告盛三にこれを引き渡した。
(六) よつて原告は同月二十三日同被告方に赴き前記の経緯によりラヂウムの詐取せられたことを告げその返還を求めたがこれを肯じない。少くとも同被告は被告律郎から詐取の事実を告げられてこれを受け取つたことは推察するに難くないところであるから右被告律郎の詐取の行為は原告の質権を侵害した不法行為であり、被告盛三もこれに加担した共同不法行為者である。即ち同被告は質物を返還して質権を復活させる義務あるに拘らず故意にこれを妨げて復活すべき原告の権利を侵害している。
而して質物が詐取せられた場合には質権者は質権を喪失し質権又は占有に基づく返還請求権を行使することはできないのであるから、被告等は時価三百万円に相当の質物を失つたことによつて原告の被つた損害を賠償する義務がある。
なお債務者野口はラヂウムの売却に奔走して自己の資産を全部投入し無資産であるので債権の回收は不能である。従つて被告等の不法行為により原告の債権は虚無のものとなつたので、原告は債権額相当の損害を被つている。よつて被告等に対して連帶してその支払を求める。
(七) 仮に被告盛三に対する不法行為の点の主張理由なしとすれば予備的請求原因として、前記の通り原告が同被告に対して昭和二十四年九月二十三日ラヂウムの返還を請求した際同被告は大阪方面でその売却の奔走をしているから早急にこれを売却して本件債務を支払う旨約束し、野口の債務を重畳的に引受けた。然るにその後その約束を破毀して売却しないことと定め、条件の成就を妨げたので無条件に債務の引受をしたことになるから、この事実に基いて前記同金額の支払義務がある。
と述べた。<立証省略>
被告等訴訟代理人は請求棄却の判決を求め、答弁として、原告主張事実中、被告両名及び野口博の身分関係の点、原告主張のラヂウムが被告盛三の所有であること並に原告主張の日に被告律郎が原告からラヂウムを受け取り、これをその二、三日後被告盛三が被告律郎から受け取つたことは認めるがその余の事実は全部認めない。被告盛三は野口から買取希望者があるのでその人に証明書と共に見せたいとの申出を受け、単に見せるためにラヂウムを預けたに過ぎないから原告が質権を取得する理由はない。元来本件のような多量のラヂウムは医療のみに使用されるもので医師又はその団体以外の者が所有することはないのであるから、原告が野口の所有と信じたのは正に重大過失であつて、寧ろ野口と通謀して質権を設定したとしか思われない。従つて善意無過失者としての法の保護を受けるに値しない。次に野口は数回の催足にも拘らずラヂウムを返還しないので、被告律郎は被告盛三の命を受けて上京し野口に請求したところ、原告なる人物が現われて野口に対する貸金の担保に取つた旨を述べたので、野口と原告と通謀して不法に質入したものと確信したが、ラヂウムが売却できれば野口には或る程度の謝礼をすることはやむを得ないと考え、予て買受希望者である大沢商事株式会社社長恒本竜一にその交渉をする旨原告に告げ、売却の上は或る程度の謝礼を約して円満裡にラヂウムの返還を受けたのであつて、何等原告を欺罔したことはない。よつて原告の請求に応じ難いと述べた。<立証省略>
三、理 由
原告主張のラヂウムが被告盛三の所有であること、被告両名及び野口博の身分関係の点並に原告主張の日に被告律郎が原告からラヂウムを受け取りこれをその二、三日後被告盛三に渡したことは当事者間に争なく、この事実と成立に争ない甲第二号証、同第三号証の一、二証人野口博の証言で成立が認められる同第一号証の各記載と証人野口博、富田重治郎、阿部賢治と原告本人、被告大原盛三(但し後記措信しない部分を除く)の各供述を綜合すれば次の事実が認められる。
被告盛三は婦人科の医師で以前から開業し癌の治療に必要といわれるラヂウムをフランスのキユーリーラヂウム研究所から買い受け、同所のキユーリー夫人の純粋である旨の証明書が添附されていたが、医院の建築資金を得るため右ラヂウム(三十ミリケース入三個一組)の売却を決意し、昭和二十四年二月頃野口博に百万円以上で売却方を委任し、同人に右証明書と共にラヂウムを引き渡したこと、野口は上京してその売却方の奔走をしたがそのため、多額の金を使い果し、滞在費運動費等に窮し阿部を介して原告に援助方を申出たので、原告は同年五月二日金五万円翌日十万円を利息の定なく貸与し、ラヂウムが売却せられた時返済を受ける定であつたがその交渉が進捗しない内更に出金を懇願せられその後同年八月末頃迄に数回に四十一万円合計五十六万円を貸与したが、同年九月一日野口と協議の上右貸金の弁済期を同月三十日限りと定め、その担保として前記ラヂウム(証明書添附)に質権を設定してその引渡を受けたこと(もつとも甲第一号証担保借用証の金額は七十六万円であるが右は謝礼金として二十万円が附加せられたものである)その際原告はラヂウムに添附の書類には野口が所有名義人と記載せられ且つ同人は既に相当期間ラヂウムの所有者と称して売却に奔走していたので、真実野口の所有であつて処分の権限あるものと信じていたこと(この点につきその際野口は原告に野口の所有でないと告げた旨の証人野口博の証言は措信しない)然るに同年九月九日原告は被告律郎と会見し、同被告より右ラヂウムは被告盛三の所有物で前記の通り野口に売却方の委任をしたがその実現が捗らないので、被告律郎が被告盛三の命を受けその取戻又は代金の回收のため上京したものであることを始めて知つたが、原告は被告律郎にラヂウムを野口に対する債権の質として占有していることを告げ、なお野口はラヂウムを三千万円程で処分する奔走をしているので、早急にその売却の実現を図り債務の支払をするよう尽力方を求めその諒解を得たが、同被告は間もなくその実現困難で売却代金の回收に不安を抱き、寧ろラヂウムを取戻して持ち帰えろうと考え、同月十九日原告に同被告の勤務先である大沢商事株式会社(本店大阪市)社長が買受希望を有し偶々上京しているからこれを見せるため一寸貸してもらい度いと申し向け、原告をして現物を見せたら直に返してくれるものと誤信させて、これを受け取り、そのまま帰宅して被告盛三に引き渡したこと並に原告は同月二十三日同被告方に赴き前記の経緯により被告律郎において原告を欺罔して質物を持ち帰つたものである旨を告げ、その返還方を求めたところ、同被告は大阪方面でこれを売却して支払うと答えてその引渡を拒絶したことが認められる。この認定に反する趣旨の被告両名本人の供述は信を置き難い。
以上の事実によれば、野口において本件ラヂウムを質入する権限はなかつたけれども、原告が右質物の所有者が野口であつて、同人に質入する権限あるものと信じたのは過失に基くものということはできない。従つてその占有の取得は善意、無過失によるものであり且つ平穏公然にこれをなしたものと推定すべきであるから民法第百九十二条の規定により原告は右ラヂウムに対して質権を取得したものというべきである。
而して原告が被告律郎に質物を交付したのは欺罔に基くものであつても、任意性には変りなく意思なくして侵奪せられたものではないから、これによつて占有を喪失し、質権は消滅に帰しその質権に基く回收の方法はないものといわなければならない。
然らば被告律郎の欺罔手段による質物の取戻は故意に原告の質権を侵害した不法行為に外ならないから、これによつて生じた損害を賠償すべき義務あることは勿論である。
ところで被告盛三の責任はどうであろうか。
原告と野口との間の質権設定契約が有効のもので、本人である同被告は質権設定者としての義務を負うに至つたことは前認定の通りである。
そして同被告が被告律郎にラヂウムの取戻を命じたときに、これが原告に入質せられていたことは全く知らなかつたことであり、又知らなかつたことについて過失がないのであるから、被告律郎のなした不法行為について故意又は過失により加担したものとはいえないように見える。
然しながら被告律郎は父である被告盛三の使となつて、ラヂウムの取戻を命ぜられたもので、被告盛三の履行補助者の立場にあるものといえよう。
本件は履行補助者が命ぜられた事項を実行するについて不法行為を行つた場合に該当する。而して被告律郎が詐欺による取戻によつて得た不法な占有は、被告盛三の手足としての占有であつて、同被告自身のものと法律上同一に評価せらるべきばかりでなく、同被告が被告律郎にラヂウムの取戻を命じた際被告律郎が原告の質権を侵害するについて故意又は過失なく、従つて詐取について不法行為の責任なしとしても、被告律郎からこれを受け取つて間もなく、同被告の詐欺による不法行為によつて取り戻されたものであることを知り又は知り得べかりしことは前認定の通りであるから、質権設定者である被告盛三はこのようにして不法に取り戻された質物を占有して質権者を害することは法律の許容しないところと解するのが正当である。
元来履行補助者である被告律郎が原告から本件ラヂウムを受け取つたのは、買受希望者に現物を一時的に見せるためであつて、速にこれを返還すべき義務を負つていたのであるから、これを受け取つた本人たる被告盛三がその返還義務を免れる理由はないといえよう。そして返還義務の履行は単に占有を復活させる義務だけでなく質権を回收させる義務をも負うものであることは信義則の要求するところといわなければならない。蓋し義務の履行は信義に従い誠実にこれをなすべきことは民法の根本精神であるから、被告盛三は質権設定者として信義に従つた義務の履行を要請せられているのである。このことは一見質権者が詐欺によるものであつても、質物を一旦任意に交付した以上質権を喪失し、これに基く保護を受けることのできなくなるという質権の特別な性質と矛盾するように思われる。然しながら自己の不法行為によつて質権を消滅させた場合には質物が自己の占有にある以上、単に損害賠償責任を負うに止まり、質権設定契約上の債権債務の関係まで一切消滅するに至るという見解は、採るに足らぬ皮相のもので質権たる物権は質権の特質により消滅しても、設定契約上の債権債務の関係は存続し信義則の適用を受けるものと考えなければならない。
以上の理由により所有者である使用者の命令によつて、他人の占有にある物の取戻の実行をなすについて、その履行補助者が、物に対し質権を有する者から欺罔して詐取するというような不法行為をなした場合には、共謀に出なくても、その物の占有を取得した所有者は、不法行為によつて消滅した質権を復活させる義務を負うものと解するのが相当である。従つて、使用者である被告盛三は故意又は少くとも、過失によつて、法律の許さない本件ラヂウムの占有によつて質権の回復を期待する債権者の権利を妨害し不作為による不法行為をなしたものというべきである。
若し右の見解に反対の立場を取り詐欺によつて占有を失つた質権者は、取戻を命ぜられた履行補助者が不法行為を犯した場合でも、その実行者のみに対する損害賠償請求が許されるに止り、その使用者に対する損害賠償請求は実行者と共謀に出ない限り、これを認むべき根拠なしとするときは履行補助者(本件において被告律郎が年若い一介のサラリーマンで経済的な資力を有するものでないことは同被告本人の供述で推察せられる)の誠意を信頼した善意の質権者は好意的な取り計らいのため不測の損害を被り、その反面取戻を命じた所有者は被用者の犯した不法行為に倖せられる結果となり、機械的な法律の適用(民法第七百十五条は本件には適用せられないのであろう又反対の見解によれば同法第七百三条の適用も許されないであろう)により却つて法律の目的とする正義に反すること明であろう。
以上の次第で被告盛三も不法行為者として被告律郎と同様に原告の被つた損害を賠償する義務を免れないものというべきである。
而して債務者である野口が無資産で、原告に対する債務の支払資力なく且つ本件ラヂウムの時価が三百万円以上の価格のものであることは前掲証拠により推知するに難くないから、被告等は原告の質権を消滅させ又はその回復を妨害したことにより、原告に対して前認定の債権額相当の損害を与えたものというべく、従つて共同不法行為者として連帶してその賠償義務を負うものであるから、その支払を求める原告の請求を正当として認容し、訴訟費用の負担と仮執行の宣言について民事訴訟法第八十九条、第九十三条、第百九十六条を適用して主文の通り判決する。
(裁判官 西川美数)